お知らせ

副学長 木村先生推薦図書 パート6

読書という旅に出よう
―公立小松大学で学ぶ学生の皆さんに―
(パート6)

「カラマーゾフの兄弟」 
フョードル・ミハイロウィチ・ドストエフスキー
原卓也訳、新潮文庫(平成28年第77刷)

死ぬまでに一度は読むべき本である。これが最初の正直な感想である。ただこの物語は未完ではないかという疑問が残る。人間存在の本質に迫ろうという意図の基に書かれた、重層的で長大、深遠な物語に比べ、最後のエピローグは結びとしてはあまりに貧弱である。例えば、父親殺しでシベリヤ送りになる長兄ドミトリーを脱獄させる計画がまだ進行中である。無神論的深い思想を持つ、次兄イワンの行く末はどうなるのか。このスフィンクスのような謎めいた人間は果たして狂気を克服することが出来るのか。物語の主人公である三男アレクセイと彼を慕う人格破綻寸前のリーザとの関係は。これら全ての謎が語られることなく物語は突然途切れてしまう。この作品で掘り下げられた問題がすべて答えを持たないことを暗示しているようでもある。それにも関わらず、やはり「カラマーゾフ」は人類の至宝である。

神と人間、教会と信仰、宗教と科学、人道性と残虐性、良心と悪心、人間存在とその深層心理に関わるありとあらゆる問題が取り上げられ、登場人物の会話を通して様々な思考実験が繰り返される。どれをとっても答えのない問題ばかりである。愛情の念が深ければ憎悪の念もまた深くなる。博愛的になればなるほど、周囲の人達への愛情は薄くなる。このどうしようもない二律背反的な不可思議な心理の動きが様々な場面で描出される。これらの重苦しい議論が続く中で、時々深い感動に襲われる場面がある。それは、ロシアの大地に根を張った物言わぬ百姓が示す、ある種の全人格的な知恵、善良さとでも呼ぶべきものに触れるときである。アレクセイの師である長老ゾシマ神父はまさにその知恵を体現しているのである。ゾシマ神父の遺言に従い還俗したアレクセイは、世俗社会の中でこの知恵の布教を託された人物と考えられる。彼は、全編を通して人間のあるべき姿に揺るぎない座標軸を与えている。

「歎異抄」に「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という有名な言葉がある。この簡潔な言葉で表現される人間観、世界観が、「カラマーゾフ」にあっては、より立体的、具象的に造形されている。