お知らせ

副学長 木村先生推薦図書 パート5

読書という旅に出よう
―公立小松大学で学ぶ学生の皆さんに―(パート5)

Nobility of Failure
-Tragic Heroes in the History of Japan-
Ivan Morris
「高貴なる敗北―日本史の悲劇の英雄たち」 (1981年) (古)
アイヴァン・モリス (著), 斎藤 和明 (翻訳) 中央公論社

 いつも思い出話になるのは年寄りの習性らしい。米国の大学にいたとき、大学院生は小さいながらOfficeをあてがわれていて、TAの仕事の一環として質問に来た学生に答えることになっていた。近くのOfficeにエジプトから来ていたEl-Akilyという留学生が居て、やはり学生の相談にのっていた。彼は嫌英親独の政治信条の持ち主で、エジプト侵攻を企てたロンメル将軍をいたく尊敬していた。ロンメルが敗退したエル・アラメインの戦いについては一家言を持っていた。そういう彼の机の上には、ドイツ軍戦車のプラモデルがいつも置いてあった。何かの拍子に「Kamikaze」が話題になり、なぜ日本はあのような「crazy」で「desperate」な事をやったのかという話になった。今となっては何を話したか全く記憶に残ってないが、きっと「他に効果的な反撃手段を当時の日本は有していなかったからだ」などと答えていたのだろう。しかし、そのように答えながらも「crazy」や「desperate」という言葉だけでは汲み取れない、なにか名状し難いもどかしさを強く感じていたことだけはいまだにはっきり覚えている。

そのころ出合ったのがこの本である。「倭建命」に始まり、日本史上の10人の悲劇的死を遂げた人物を扱った評伝である。「楠木正成」「天草四郎」「大塩平八郎」「西郷隆盛」など、敗北することがほとんど自明の理であるにもかかわらず、彼らはあえてその運命を受け入れ戦いに臨む。日本人は、そういう彼らを歴史の中に受容してきたという長い伝統を有している。言ってみれば民族としての美意識がそこにある。それが、最後に取り上げられている「Kamikaze」の底流をなしているというのが著者の主張である。エコノミックアニマルと揶揄されていた当時の日本人が、実はその表層とは全く相反する深層心理を有していることを論証しようとした作品である。「経済的成功しか頭にない日本人」という当時の米国人が持つ日本人観を180度覆すものであった。初版本はカナダで1975年に出版された。その後、日本のKurodahan Pressが受け継ぎ、2013年に出版されたものがAmazonから2500円程度で入手可能である。かなり綿密な注釈が付いており、全ページの1/3に及ぶ。1981年に中央公論から日本語訳が出たが、残念ながら絶版になっている。現在、和訳の古本は1万~5万円の値が付いている。

私が持っている初版本には「Kamikaze」の章に何枚かの写真が挿入されていて、その中の一枚に見開き一杯に拡大されたものがある。おびただしい弾幕に覆われた沖縄の空の中で、今まさに一機の特攻機が米空母に突入しようとしている。それを呆然として見守る数人の米兵の後ろ姿が左下方に写っている。彼らの背中には憎しみというものはなく、なにか厳粛な儀式に見入っている様子が感じられる。飛行機の爆音や激しい対空砲火の射撃音はすべて消え失せ、深い静寂のみが支配している世界が画面全体から伝わってくる。約40ページの最終章「Kamikaze」の言わんとするところは、ほとんどこの一枚の写真に凝縮されている。

El-Akilyが博士の学位を取得してどこか田舎の大学へ赴任して行くとき、私に一冊の本をプレゼントしてくれた。「Battle Ships 1856―1977」(written by Antony Preston, Phoebus Publishing Company,1977)というタイトルの本である。最後の方で戦艦大和の話が詳しく書かれてあったからであろう。表紙の見返しに

To Admiral Kimura of the Yamato:
With Best Regards,
Adm. N.M.El-Akily
(8/11/1981)

とサインしてあった。何回もの引っ越しのために本は大分傷んでしまったが、捨てることができない。これを手に取ると、彼の在りし日の風貌がよみがえってくる。