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学長推薦図書 その7

7.「夜と霧」と「荒れ野の40年」


 ヴィクトール・E・フランクル 著,霧山 徳爾 訳
「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」 
2012年8月 新装版第43刷 みすず書房発行

 
 著者フランクルは,三百万人のユダヤ人が殺されたと推定されているアウシュビッツ収容所を生き延びた精神科医。しかし,彼の両親,妻,子どもたちが,そこから戻ることはなかった。本書は,ひそかに速記した紙片を基に,心理学の観点から,収容所での体験をつづった記録である。
 本書で示される悲惨は,想像を絶し,血も凍るかの如くである。が,本書の最高の価値は,悲惨の実録にあるのではなく,苦悩と死のさ中にありながらも,生きることの「意味」を見い出してゆく著者らの姿勢にある。第八章「絶望との闘い」の「まもなく電灯がわれわれのバラックの梁にともった。私は目に涙をためて感謝をいうために……よろめき近よってくる仲間の姿を見た。」まで読み進む者は,登場人物とともに,「感謝」をわかち合うだろう。



 Further reading: Victor E. Frankl 著
             「Man’s Search For Meaning」
               2008年Rider社発行

 
 「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」の英語版には,「Man’s Search For Meaning」とのタイトルが付けられており,日本語版にはない,フランクル自身による’Postscript’(あとがき)が添えられている。1983年に行った講演に基づく,’The Case for a Tragic Optimism’が,それだ。いわく;in spite of the “tragic triad” - pain, guilt and death, remain optimistic, say yes to life, retain its potential meaning. そして,pain/sufferingに対してはa human achievement and accomplishmentを, guiltに対してはthe opportunity to change oneself for the betterを, deathに対してはan incentive to take responsible actionを,と述べる。’Postscript’は,つぎの2行で締め括られる:
     Since Auschwitz we know what man is capable of.
     Since Hiroshima we know what is at stake.
あとがきだけでも,一読の価値がある。

 
 
 
 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー 著, 永井 清彦 訳
「新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説」
2009年10月 岩波書店発行
 
 
 ドイツ敗戦40周年を記念し,ヴァイツゼッカー大統領が行った歴史的な演説の全文である。ナチスドイツが降伏した5月8日,ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)連邦議会で,演説は行われた。
 この日を,大統領は,「心に刻む(erinnern)ための日」と位置づけた。「強制収容所で命を奪われた六百万人のユダヤ人」,「ソ連・ポーランドの無数の死者」,「兵士として斃れた同胞,故郷の空襲で,捕われの最中に,あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞」,「虐殺されたシンディ,ロマ,殺された同性愛の人びと,精神病患者,宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びと」,「銃殺された人質」,「ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者」,「良心を曲げるよりはむしろ死を選んだ人びと」,「人びとが負わされた重荷のうち,最大の部分をになった各民族の女性たち」に思いをいたし,心に刻みつづけよう,と訴えた。
 若い世代には,つぎのメッセージを送った:「若い人たちにかつて起こったことの責任はありません。しかし,(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。人間は何をしかねないのか―これをわれわれは歴史から学びます。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。たがいに敵対するのではなく,たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。」
 この演説を行った年の秋,ヴァイツゼッカー大統領は,イスラエルを訪れ,歓迎されたという。彼の演説と存在は,戦後の混迷や衝突から,また,内なる不信や葛藤から,ドイツを救い,ベルリンの壁崩壊=東西ドイツの統一にもつながったのではないかと考えられる。東ドイツ出身のアンゲラ・ドロテア・メルケル首相は,ヴァイツゼッカー大統領と同じく,敬虔なクリスチャンであり,彼の思想を継承する人物と目されてきた。