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  • 2019/01/08
  • 学長推薦図書 その10
  • 10.無人島に本をただ一冊もって行くとしたら,何を選ぶか?
    
     ずいぶん以前に,標題のような特集をある雑誌が組んだことがあった。どんな雑誌だったか,思い出せないのだが,自分は何を?との自問は残った。すると,もっともよく思い浮かんだのは,ゲーテ「ファウスト」,ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」,鴎外訳「即興詩人」であった。
     「ファウスト」は,学生時代,原書に挑んでギブアップした思い出があるが,今日までいろんな訳本で親しんできた。朝永振一郎著作集で,「史劇『ファウスト風』中性子誕生の前夜」に出会ったときは,思わず喝采したものだ。これは,ドイツの若手物理学者たちによる「ファウスト」のパロディ。主の役はボーア,ファウスト役はエーレンフェスト,メフィストーフェレスはパウリ,グレートヘンには中性微子(ニュートリノ)を人格化させている。公立小松大学広報誌’Tachyon’表紙の小さなカットは,グレートヘンを演じるニュートリノだ。愉快なことに,アインシュタインも,第一部アウエルバッハの酒場の場面に,大虱(しらみ)に擬せられて登場する。
     ヨハネ伝第十二章二十四節「誠にまことに汝らに告ぐ,一粒の麦地に落ちて死なずば,ただ一つにて在らん,もし死なば,多くの果(み)を結ぶべし。」ではじまり,「「そして永久に,これから一生手を取り合っていきましょう!万歳(ウラー),カラマーゾフ!」ともう一度感激したようにコーリャが叫んだ。そしてもう一度すべての少年が彼の叫び声に調子を合わせた。」で終わる,「カラマーゾフの兄弟」は,三度ほど通読しただろうか?途中,難解な部分もあるが,無人島で時間をかければ,わかるようになるかな,と思ったりもした。
     悩めるときには,「聖書」や中村元「ゴータマ・ブッダ」が候補に加わった。
       さて,一冊だけとなると,まことに決めがたい。ドイツ語に堪能だったなら,Faust,ロシア語ができたなら,Братья Карамазовыかなとも思うが,しいて選べば,「即興詩人」になるだろうか。
    
    アンデルセン 著,森 鴎外 訳
    「即興詩人」
    1995年12月 筑摩書房発行
    
     本書は,デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンによるイタリア紀行小説を,ドイツ留学から帰った鴎外が,軍医職の合間を縫い「大抵夜間,もしくは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に」九年余をかけて完訳したものである。読者が旅するのは,イタリアの風光と詩人の人生だけではない。「和漢の素養[と]欧文の教養[が]息づいた」(日夏耿之介)約四十万語彙におよぶ雅文体世界が,燦然と行く手にひろがる。